農薬の環境影響:合成性フェロモンの場合


 病害虫防除のために使われる農薬には、環境に対し影響があるとされるものがある。過去には難分解性の塩素系殺虫剤が食物連鎖の中で生物濃縮されて問題となった。また水系に流出した農薬も直接的な影響がある事が知られている。これらの例は、陸生生物に対しても農薬の基礎毒性と動態を併せて実際の影響を考える必要があることを示している。
 今後影響の可能性のある農薬は基礎毒性の高いものは勿論であるが、極微量で活性のある性フェロモン、内分泌攪乱ホルモンなどであろう。一例を挙げればハマキムシ類(チャノコカクモンハマキ、リンゴコカクモンハマキ、リンゴモンハマキ、ミダレカクモンハマキ)の交信攪乱に使われる性フェロモン(Z)-11-テトラデセニルアセタートは、分類学的に近縁な多くのハマキムシ類の交尾行動に影響を与える可能性がある。またシバツトガ、コナガの交信攪乱剤の主成分(Z)-11-ヘキサデセナールは、農業害虫だけでも10種類(ツメクサガ、ハイマダラノメイガ、タバコガ、オオタバコガ、チャノホソガ、ニカメイガ、ネギコガ、ナガイモコガ、ヨトウガ)の性フェロモンの構成成分として知られている。
 東京大学の田付教授が警告しているように、農耕地で使用される性フェロモンの周辺環境への拡散は使用者が制御出来ないものである。極微量で活性を持つため標的種以外の多くの蛾類の交尾を周辺環境の中で攪乱する可能性がある。個体数の少ない種(希少種)ほど効果が高くなるという皮肉な面があり、知らないうちにある種類をその地域から駆除してしまう可能性もないとはいえない。内分泌攪乱ホルモンについては昆虫に関する知見がほとんど無いが、食物連鎖による生物濃縮の結果、脊椎動物などで影響が発現することが考えられる。
 自然界で昆虫の密度が高まりその種特有の性フェロモン放出が多くなった場合、人為的な交信攪乱と同じような効果(交尾率の低下)が起きて密度を自動的に抑制している可能性があるのだろうか? 昆虫における高密度からの急速な密度低下要因として、天敵の作用が重要であるとされてきた。しかし、天敵不在でもそのような密度低下はたびたび起きている(チャノコカクモンハマキ、チャハマキ)。競合の問題については地域による競合種の比率に大差があることは周知の事実である。その要因としては通常気象条件と生態的特性(発蛾最盛期の差)に帰結させる仮説が多い。高密度昆虫の性フェロモン成分が、低密度昆虫の交信攪乱を低密度になればなるほど助長するという仮説を提示できないだろうか。
 自然条件下ではこのような混乱は歴史的に整理されてほぼ安定した相を示すが、人為的なエネルギ−によって攪乱されている農業生態系では競合が繰り返されている可能性もある。